※ちょっとひと息1,255※ 飯田さん・・・ そこ京都?
望月監督、台湾! だったら飯田監督は古都 京都にいると思うじゃ~ないですか?
コメント無しで写真だけ届くから。。。
「違うよ、写真見れば分かるでしょ?歩いてすぐのお寺」と、言っています。
そりゃ~写真指で押し広げれば分かるかもしれないけど
「そこまで人の写メ真剣に見ないから!雰囲気だけで返信してる(笑)」
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ホントの事言っちゃった@o@;/
その後、何やら長ったらしい文章も届きました(笑)読んでやって下さいm(_ _;)m
建穂寺(たきょうじ)は白鳳年間(654~669年)に道昭法師によって開基された真言宗の古寺である。奈良時代に僧行基が聖武天皇の病気快復を願って掘った観世音菩薩を納めた寺として知られている。その後鎌倉時代以降 久能寺と共に駿河文化の中心とっして大いに栄え、今川氏の時代や江戸時代には 保護が厚く徳川家康から480石の朱印を受けたと言われている。しかし かくも栄えた当寺も明治維新により徳川氏の保護を失うとともに、明治政府による神仏分離の宗教政策などにより多くの院坊も壊され、跡だけが残っている。 また明治3年の火災によりほとんどが消滅してしまい 現在は再建された
観音堂に納められている多くの仏像によって往時を偲ぶのみである。 4月1日から始まる浅間神社の廿日会祭に奉納されている稚児舞は古くから建穂寺の舞として伝えられているもので、家康が駿府在城の頃 建穂寺に参拝した折、稚児舞を見て大変気に入り崇敬厚い浅間神社へ奉納するようにと言われた事から始まり、今日まで伝承されている。
私はコピぺしましたが、読んではいません(笑)
2017/08/12 makita